世界最古のラップミュージック

権利・幸福嫌いな人に自由湯(党)をば飲ましたい・・・

これぞ、世界最古のラップミュージック、川上音二郎の「オッペケペー節」です。

川上音二郎は、元は福岡藩の郷士で、大阪の落語家、桂一門の出身でした。新派劇の創始者とも言われ、海外公演などもやっています。慶應義塾で学んだり、民権運動をやったり、それからなんと、大隈重信暗殺未遂事件で有名な日本初の右翼団体、「玄洋社」の創設にも関わっているとか。そして、後の日露戦争の終戦交渉の仲介をセオドア・ルーズベルトに頼みに行った金子堅太郎や、その親分の伊藤博文とも繋がっている、不思議な人です。

政府はこの時すでに、讒謗律、集会条例、新聞紙条例など、政府批判を取り締まる法令を出して、自由民権運動を厳しく取り締まっていました。川上音二郎自身も、民権運動時は、十数回検挙されたと言います。

ただ、この「オッペケペー節」が登場したのは、1891年ですので、すでに、大日本帝国憲法発布(1889年)、第一回帝国議会開会(1890年)は過ぎており、また、この「オッペケペー節」が最高潮に達したのは、日清戦争時(1895年頃)だそうですので、自由民権運動のためというよりは、興隆していた大衆娯楽の一環だったと思います。

歌詞も、政府批判ではなく、金持ち批判がほとんどです。民衆ウケがよかったのも頷けます。

動画は、下の歌詞の一部だけを歌っています。

権利(けんり)幸福(こうふく)きらいな人に。自由湯をば飲(の)ましたい。オツペケペ。オツペケペツポー。ペツポーポー。 堅(かた)い上下角(かど)とれて「マンテル」「ヅボン」に人力車意気な束髪(そくはつ)ポン子ツト。貴女(きぢよ)に伸士(しんし)のいでたちで。外部(うはべ)の飾(かざり)はよいけれど政治の思想(しそう)が欠乏だ。天地の真理(しんり)が解(わか)らない。心に自由の種(たね)を蒔(ま)け。オツペケペ。オツペケペツポペッポーポー

米價(べいか)騰貴(とうき)の今日に。細民(さいみん)困窮(こんきう)省(みかへ)らす目深(まぶか)に被(あ)ふた高帽子(たかほうし)。金の指輪(ゆびわ)に金時計。権門(けんもん)貴顕(きけん)に膝(ひざ)を曲け。藝者(げいしや)たいこに金を蒔(ま)き。内には米を倉(くら)に積(つ)み。同胞(どうほう)兄弟見殺(みごろし)か。幾等(いくら)慈悲(じひ)なき慾心(よくしん)も。餘り非道(ひどう)な薄情(はくじやう)な但し冥土(めいと)の御土産か。地獄(ぢごく)でゑんまに面會し。わいろ遣ふて極楽へ。行けるかへゆけないよ。オツペケペ。オツペケペツポーペツポーポー

亭主の職業は知らないが。おつむは当世のそくはつで。ことばは開化のかんごで。みそかのことわりカメだいて。不似合だ。およしなさい。なんにも知らずに知た顔。むやみに西洋を鼻にかけ。日本酒なんぞはのまれない。ビールに。ブランデー。ベルモツト。腹にもなれない洋食を。やたらに喰ふのもまけおしみ。ないしよでこうかでへどついて。ましめな顔してコーヒ飲む。おかしいね。ヱラペケペツポ。ペツポーポー 侭になるなら自由の水で。國のけがれを落したい。オツペケペ。オツペケペツポーペツポーポー

むことり島田に当世髪。ねづみのかたきに違(ちが)いない。かたまきゾロ/\引づらし。舶来もようでりつぱだね。買う時ァ大層おだしだらう。夏向ァあつくていらないよ。其時ァおつかが。すいりよして。おそでにかくして一トはしり。からくり細工にいてくるよ。ヲヤ大きなこゑでは。いわれない内證たよ。ぶたいはけつきやうだ御免なさい。オツペケペ。オツペケペツポ。ベツポゝ。

おめかけぜうさんごんさゐに。芝居を見せるは不開化だ。かんぜんてうあく分(わか)らない。いろけの所に目をとめて。だいぢの夫(おつと)をそでにする。浮氣をすること必定だ。おためにならなゐ。およしなさい。國會開けたあかつきに。やくしやにのろけちやおられない。日本をだゐじに守りなさゐ。まゆげのないのがおすきなら。かつたいおいろに持なんせ。目玉むくのがおすきなら。たぬきとそいねをするがよゐ。オツペケ。オツペケベツポペツポーポー

親がひんすりやどんすのふとん。敷て娘は玉のこし。オツペケペ。オツベケペツポ。ベツポーポー 娘のかた掛りッぱだが。とつさんケツトを腰にまき。どちらも御客をのせたがる。娘のころぶを見ならふて。とつさんころんじやいけないよ。オツペケペ。オツペケペツポ。ペツポーポ

洋語をならふて開化ぶり。バンくふばかりが改良でねへ。自由の権利をこうてうし。國威をはるのが急務(きうむ)だよ。ちしきとちしきのくらべやゐ。キョロ/\いたしちや居られなゐ。窮理と発明のさきがけで。 異國におとらずやッつけろ。神國名義だ日本ポー