茶室に見る文化論と聖路加の可能性

「文学に表れた空間。『万葉集』によく出てくる言葉に「家」と「やど」がある。どちらも住居のことであるが、「公の空間」と「情緒の空間」へとその意味が微妙に分かれていく。二つの流れは日本文化のありようにどう影響したか。」

このような、帯書きがあったので手にとって読んでみたらとても面白かった本のご紹介です。

茶室の建築様式は、当時の反権力、反権威から生まれたのですが、それは、一切の様式を廃した「様式美」をもっています。

センターとペリフェリーでいえば、完全にペリフェリーの文化であり、当時のサブカルチャーはもちろん、カウンターカルチャーを代表するもの、といってもいいでしょう。


しかし、その由来を調べてみると、にじり口などは中国韓国の民家建築、屋根などは東南アジアのジャングルにある民族住居などの特徴を備えているということです。

つまり、単なる安土桃山文化の城郭建築に対するアンチテーゼではなく、予想外に、インターナショナルなのだということに驚かされます。


筆者によると、これを完成させた千利休は、当時の南蛮貿易による文物から、そのヒントを得たのだろうということですが、さらには、遠く西に広がるヨーロッパを意識していただろう、といいます。


この、茶室とヨーロッパがつながりを持っている、というドラスティックともいえる立論がとても面白かったです。

この筆者の方のブログも面白いのでご紹介しますね。リンクを貼っておきます。

都市力と風土力

とまあ、ここで終われば普通の文化論なんですが、もう一押ししてみます。

話をもう少し発展させると、茶室は、実は「教会」なのではないか、という俗説もあるんです。

千利休は、実は、セイント・ルーク(聖ルカ・聖路加)からその名をとったのではないか、利休はキリシタンではないかとする説があるんですね。利休七哲のなかの、蒲生氏郷、古田織部、高山右近はキリシタン大名(蒲生、古田については諸説あり)だし、七哲中の細川忠興の奥さんは細川ガラシャだし、利休の後妻の宗恩も敬虔な信者で、キリシタンが周りに多いんです。

茶室は、ヨーロッパの様式に影響を受けている、と上記の若山さんはおっしゃっていますが、茶の湯の作法そのものが、聖体拝領の儀式をなぞっているのではないか、お茶を回し飲みしたり、茶菓子を食べたり、とても似ている、というのです。茶の湯はミサじゃないか、ということですね。

突拍子もない話で、そっくりそのまま信じることはできませんが、茶の湯の所作や作法にキリスト教が影響を与えている可能性は全くないとは言えないでしょう。個人的にはキリスト教の影響を受けていると感じます。

キリシタンは切腹できない、だから違う、という人もいます。確かに、千利休は秀吉から切腹させられていますが、本当に自分で切腹したかは不明です。介錯というのがありますから。細川ガラシャも介錯してもらって果てたという話なので、あながち、利休キリシタン説は、全くの荒唐無稽でもないかもしれないですね。