近代的自我の萌芽

個人と社会の理性に基づく精神を中心に伝統主義、呪術的な迷信などを排除しようとする精神を、とりあえず、近代合理主義的精神と定義したら、その起源はどこにあるのか、それは啓蒙主義か、カントまで待たねばならないのか、近代的自我の萌芽についても考えていました。

僕は、この分野は全くの素人ですので、見当違いがあったらお赦しください。

でも、ルターのこの本から、「信仰」をとりのぞくと、そのまま、「近代合理主義的精神」になるような気が僕にはしました。
ルターは、本気で「信仰」していたのですから、その後の「信仰」をめぐる問題や、「近代合理主義」がどのように発展したかについては、彼には全く関係ないのですが、論の運び方、個人の精神の扱い方を見ると、彼が、その後の個人の精神的環境を決定付けるのに大きな影響を与えていたように感じられてなりません。

それにしても、ルターという人は、一途な人だったのだなあ、という印象を強く持ちました。