小林秀雄の「常識」とAI

『小林秀雄の「常識」を読んで、考えたことを書け』とかいうつまらない宿題を学校から出されたことがある。

小林秀雄なんて、昔から大嫌いなんだが、自分なりに考えたことを今、書いてみよう。宿題的には、前置きは不要なのだが、読者の皆様のために前置きも書く。

このエッセイは、ポーの「将棋を指す機械人形」の話から始まる。18世紀の唯物論の影響から人間の思考も唯物論的に把握でき、将棋を差す機械人形が発明されたとして、大いに見せ物として欧州各地で流行ったそうである。その機械人形と人間が将棋をさす。

しかし、人間にその機械人形は負けたことがない。こんなことがありうるだろうか。機械人形は「常識」的に考えれば、人間のような「思考」はしないはずだ。ポーは、この常識に基いて、機械人形の仕掛けの中に実は人間が隠れていることを看破する。

しかし、18世紀の昔、この機械人形について様々な考察を加えた書物が出版されたという。小林は、この話から、現代の「人工頭脳」の話をする。「人工頭脳」も、機械でしかない。とすれば、「人工頭脳」は、やはり、「思考」することはない。人間の決めた約束にしたがって、ものすごいスピードで計算をするだろうが、それは、「思考」とは違う。常識から考えればすぐに判ることだ。

現代の「人工頭脳」である、コンピューターも専門的知識を持ち出すまでもなく原理的には、ポーの「機械人形」と同じで、高速演算処理はするが、「思考」はしない。多くの約束事を前提にただ高速演算処理しているだけだ。しかし、それは決して、「思考」しているのはない、ということである。こんなことは、小林によれば、「常識」から判るのだという。

 専門的知識というのは、どこか、「機械」に似ている。つまり、ある約束事を前提に機械的な結論を組み合わせる点で、「人工頭脳」がやっていることと同じことをしているに過ぎないからである。小林が、「常識」の及ぶ範囲が、極身近なことに限られ、社会や政治、文化については、専門的知識が、機械的な結論を導き出し、常識とはかけ離れてしまうというのも理解できる。

小林の言いたいのは、人間の「思考」の核心的部分は、状況を評価し判断し行動を選択することである、として、これは決して機械には出来ない、ということである。

私は、これを読んで、いかにも、頭の良い文系人間が考えそうな結論だと思った。

しかし、現代において、これは怪しくなってきた。すでに、コンピューターの将棋ソフト、チェスソフトは、プロ棋士さえも凌駕する。AIは、まさに小林秀雄のいう「思考」をしているのかもしれないし、また、自動運転車は、この、小林のいうところの「状況を評価し判断し行動を選択すること」をやり始めているからである。

ということは、人間の「思考」の核心的部分をすでに機械がやり始めたことになる。

したがって、小林秀雄がいう人間の「思考」の核心的部分というのは、少なくとも機械に代替させることができるが故に、人間の思考の「核心的部分」ではない、と言える。

しかし、それでも、いわゆる「人工知能」は、「人工無脳」であって、決して思考しているわけではない、と主張する学者が今も存在する。すなわち、全ては、プログラムされた結果であって、機械が「思考」しているわけではない、というのである。また、茂木健一郎氏の言うように、人間には、機械にはない、「クオリア」なるものがあり、人間のヒラメキのようなものには現在のところ機械には再現できない、と言う。

機械が「思考」しているかしていないかは、外からは誰にもわからないが、判断の基準は存在する。もちろん、小林秀雄の考えた基準よりもずっと洗練されたものである。

その一つに、アラン・チューリングの考えた、チューリング・テストというものがあって、2014年にロシアのAIが、このテストをパスしているという。

小林秀雄の想定は、文章だけから判断すれば、すでに破綻しているのであるが、汎用性のあるAIは、まだ完成されていないのは事実だ。小林の想定が、人間のように、どんなことに対しても、その場で状況を評価し判断し行動を選択するようなAIのことを指すとしたら、そのようなAIは今のところ存在しない。

すなわち、将棋やチェスや囲碁専門のAI、自動運転をするAI、画像診断をして医師を凌駕する精度で病気を見つけるAI、交通管制をするAI、ソフィアのように会話に特化したAIなどなど、それぞれの分野で人間の能力を凌駕するようなAIはすでに存在し、それぞれの分野で、AIは、思考しているのかもしれないし、そうではないかもしれない。一つのAIが、人間のように、将棋やチェスもし、自動車も事故なく運転し、人間の話し相手にもなってくれる、と言うような、汎用性のあるAIは、いまだに完成していないのである。

高島先生たちと一緒に講演を聞きに行った、ベン・ゲーツェル博士によると、そのような人間の知能と同レベルの汎用性のあるAIは、2030年代には出現すると言う。

この時、小林秀雄の「常識」は、ついに崩れるのだろうと思う。