日本学術会議の問題について

学問の自由の保障するもの

憲法23条は、「学問の自由は、これを保障する」と規定しています。

そして、この「学問の自由」には、まず、人の学問を極める行為を国家が妨げてはならないという意味と、この保障をさらに確実なものとするための制度的保障としての、大学をはじめとする学問研究機関の自治(いわゆる大学の自治)、学問研究の教授、発表の自由などを含みます。

学問の自由の侵害になるか?

では、今回の、菅首相の日本学術会議のメンバーの任命拒否事件について、純憲法学的観点から見て、学問の自由の侵害とはならないのでしょうか?

上智大学の江藤祥平准教授は、

「学問の自由」を保障する憲法23条は、明治憲法時代に起きた滝川事件や天皇機関説事件など、学説が国家権力に侵害された歴史を踏まえて作られた。自由を守る手段として、研究者の人事が大学の自主的な判断に基づいて行われることが大切だと、最高裁の判例は明快に語っている。

日本学術会議は大学ではない。しかし、日本学術会議法が冒頭で「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とすると明記していることを考えれば、同会議が「学問の自由」の実践と深くかかわる組織として設立されたことは明らかだ。3条で職務の独立性を強調しているのも、同会議の自律性を大切にしているからにほかならない。(朝日新聞デジタル10月3日号より転載しました

と、しています。

また、東京都立大の木村草太教授(憲法)は、

 憲法23条が保障する学問の自由には、「個人が国家から介入を受けずに学問ができること」と、「公私を問わず研究職や学術機関が、政治的な介入を受けず自律すること」の二つが含まれる。学術の観点から提言をする日本学術会議は、学術機関の一種だ。

 憲法23条は「公的学術機関による人選の自律」も保障しており、今回の人事介入は学術会議の自律を侵害している。学問の自由に、公的研究職や学術機関の自律が含まれるのは、一般的な解釈だ。(同上)

さらに、9月末まで日本学術会議会員を2期6年務めた明治大学の西川伸一教授(政治学)は、

 学術会議は、政府の施策について独立した学術的な観点から提言する。任命するのは首相だがそれにおもねる機関ではない。その中から特定のメンバーだけを排除すること自体が、学問的な専門性に対する敬意を欠き、研究者の名誉を損ねる行為で、言語道断だ。  安倍前首相のもとでは、集団的自衛権の行使容認のため内閣法制局長官を交代させるなど、意に沿わなければ、慣例を破ってでも人事に介入して政策を進める手法がとられてきた。第三者的な役割が期待される機関の独立性を保つなど、慣例が持っていた意味を顧みることはなかった。菅政権もその本質が変わらないことがあらわになった。  今回はさらに、任命拒否の目的や理由さえ説明しようとしない。政府に批判的な人を狙い撃ちで排除したとしか思えないが、あえて不明確にすることで、研究活動の萎縮や忖度(そんたく)を狙っているとも考えられる。「たてつくと不利益がある」という無言の圧力であり、今後への影響も大きいだろう。(同上

としています。

以上のように、日本学術会議が、学問の自由を実質的に担保する大学の自治と同等の制度的保障を受けうる学術研究機関であることも肯定できると思います。

また、純憲法学的には、菅首相の今回の任命拒否の理由が、仮に西川教授の言うとおりではないとしても、学問の自由に対する萎縮的効果をもたらす可能性があるため、学問の自由を侵害する可能性は否めません。

内閣の予算・人事権はおよぶか?

では、菅首相、内閣府の官僚の言うとおり、「日本学術会議は、年間10億円もの予算を政府から得ている行政機関であるから、内閣総理大臣が国民主権、国民の公務員の選定罷免権の観点から、人事権を行使するのは当然であり、学問の自由の侵害には当たらない」のでしょうか?

この問題の本質は、行政機関に対する民主的コントロールの問題だと思います。

日本学術会議は、行政機関で、そのメンバーは、特別公務員であるから、内閣総理大臣の指揮監督権に服するのは当然だと言う考えが正当かどうかです。

この点参考になるのは、独立行政委員会の存在です。政治的中立性、専門技術性を要する事項を取り扱う行政組織については、行政権に属してはいるものの、内閣からある程度、独立して職権を行うものを言います。

公正取引委員会、中央労働委員会、司法試験管理委員会、国家公安委員会などです。

この独立行政委員会の合憲性について、多数説は、予算、人事について内閣のコントロールが及んでおり、合憲である、としています。

また、国会のコントロールが及んでいるものは格別、内閣のコントロールの及ばない純然たる独立した行政委員会を合憲とした考えは、私が調べた範囲では、見当たりませんでした。

つまり、内閣が、人事権、予算権を持たない行政委員会は仮に、準立法的作用、準司法的作用を持つものであってさえも、憲法違反になると言うことです。

この点、日本学術会議が内閣の特別機関たる行政機関であることは明白ですので、日本学術会議に対しても、内閣総理大臣の同会議のメンバーに対する任命権を行使できることに疑いの余地はありません。

したがって、内閣総理大臣が、同会議のメンバーの任命権を行使することについては合憲と言えます。

法令の解釈変更になるか?

では、今回の任命権、任命しなかったので消極的任命権の行使と言える今回の任命拒否については、従来、日本学術会議の推薦名簿に基づき、形式的に任命権を行使してきたに過ぎないのに、任命拒否という形で消極的任命権を行使したのは、一方的な人事権の行使であり、法令の解釈変更にあたるか?という問題についてはどうでしょうか。

この点、従来は、事前に日本学術会議側が政府に候補者の名簿を提出して、その人選について協議していたという報道がなされています。(こちらをご覧ください)

これが事実だとすれば、内閣総理大臣の任命権を前提に、日本学術会議の意向も尊重しながら、人事については決定していたことになります。

同記事では、今回の任命にあたっては、日本会議の前会長の山極氏が、事前に協議なしに、いきなり、105人分の名簿をただ提出しただけで、政権との対決姿勢を持って事前協議には応じなかったようです。

こうすると、行政の民主的コントロールの観点から、本来の原則に戻って、行政機関である日本学術会議の人事権を行使しても違法とまでは言えず、解釈変更であるとまでは言えないかもしれません。

人事権の濫用になるかが問題点

こう考えてくると、結局、その人事権の行使が、日本学術会議の沿革や存在意義を十分に汲み取って、適性になされたか否かが問題点だと思います。

日本学術会議は、先の戦争に対する科学者たちの反省に基づいて成立した組織であり、反戦・平和の組織である、と言う位置づけになります。

よって、純学問的観点から、現在の安保法制を批判したとしても、それだけをもって、日本学術会議のメンバーとしてふさわしくない、ということはできないと思います。

任命されなかった6人は、政権批判、政府方針に反対してきた人たちであるという共通点があることから、この人たちを任命しなかったのは、政権にとって不都合だから、という理由であるとすると、それは、任命権の濫用になり、ひいては、学問の自由の侵害になるでしょう。

山極前会長のケンカを総理が買ったとしても、ここで、「気食わないやつは政権から遠ざける」とは、口が裂けても言えないでしょう。

しかし、菅首相、内閣府の官僚の言う、「総合的・俯瞰的観点から」、という抽象的な理由では、国民は納得しません。

また、「人事に関することなので詳細は公表できない」と言う答弁も、納得できません。

これでは、日本学術会議の持つ、学問の自由、組織運営の自治に対する萎縮的効果をもたらし、立憲政治に対する重大な影響をもたらすに違いありません。

この問題は、あとあと尾を引くように思います。