「未来少年コナン」の原作本には何が書いてあったか?

「未来少年コナン」がデジタルリマスターされ、NHK総合で毎週月曜日の午前0時10分から放送されています。

大人の皆さんには懐かしいことこの上ないでしょう。なんと42年前の作品なんですから。私も当時小学生で、テレビにかじりつくようにして見ていました。
この原作は、児童書として出版されたものではありますが、非常に優れた本であると思います。

子供たちには、こういういい本を読んでもらいたいと思います。

ちょっとネタバレになっちゃうんですが、本の内容を書いてみますね。

まあ、「未来少年コナン」の原作ではありますが、原作はアニメとはかなり違います。

コナンもラナも、もう少し大人で17歳くらいです。

ダイスは最後まで悪い奴です。

モンスリーというのはいなくて、ドクターマンスキーという、多分、モデルになった人が登場します。

レプカは名前だけレプコというやつからとったものだろうと思います。

ジムシイは10歳くらいです。

ここでは、ラオ博士のモデルになったブライアック・ローというみんなに神様のように思われている伝説の科学者をめぐり、コナンをはじめとする地球を破滅に追い込んだ戦争を生き延びた人々と、インダストリアという戦争を生き延びた科学都市で戦争前の価値観に基づいて社会主義独裁体制のような「新社会」という国を作り上げている人々との闘いを描いています。

ここに底流として流れているのは唯物論への徹底的な批判と、科学者たちの神様のようなブライアック・ローが語る、究極の知恵とは、自己を超越した何者かと繋がることによってもたらされるという、ある種ニューエイジ的な思想です。

テレパシーやテレポーテーションは人間に本来備わった自然な力であり、物質的なものが全てであるという考えは間違いであり人々の争いの原因だというのです。

コナンもラナもテレパシーなどを無意識のうちに使えるようになっていきますよね。これが人類の進化だということですね。

これが書かれたのは米ソ冷戦の真っ直中の1970年頃であり、作者はアメリカ人で海軍情報部に勤務経験のある人だということを考えても、ヒッピームーブメントの片鱗も垣間見えてさもありなんとも思えますが、私が普段考え感じていることと共感できて興味深く思えました。

また、最近知った「光明さん」のおっしゃっていること、「光明さん」がコンタクトしている「高次元の存在」の言っていることと、ドクター・ブライアック・ローのいうことが奇妙にも同じことのように思います。

「人類はテクノロジーばかりに頼って、人類が本来持っている能力を退化させようとしている」と。

どうも、中途半端な理系の人々を中心に唯物論者が多いなかで生活していると人間という存在が薄っぺらなものに感じられて哀しくなるときがあります。

そもそも、人間の内的な世界は外的世界と同じくらい大きいはずです。

科学の進歩は唯物論を究極の形にするのか、人間の内的可能性・精神性に回帰するのか、どちらなのでしょうか。

私はこの本にあるように後者だと信じたいです。