「ナチスの手口」について

海外で、また日本にも、独裁政治の波が押し寄せて来るような気配がしています。

いみじくも、現副総理兼財務・金融担当大臣の麻生太郎氏が、「ナチスの手口」について学んだらどうか云々と以前発言されていたのを思い出しました。

今回は、独裁政治とナチスの手口について考えてみます。

独裁政治とは

政治学上、独裁には、2つの類型、つまり、「委任独裁」と「主権独裁」があります。前者は、国家的な危機の時に、一時的に「独裁官(ディクタトル)」に権力行使を委任するもので、古代ローマ時代のカエサルなどの政治です。また、後者は、ロシア革命、フランス革命後など、独裁者が全面的、恒久的に権力を掌握する類型のことです。

民主主義が安定、定着した現代国家では、委任独裁、主権独裁どちらの独裁政治も行われていません。しかし、社会主義国である、中国、北朝鮮では、独裁政権がいまだに存在します。

開発独裁

また、アジア、アフリカ、南米などの国々では経済発展を主眼において、自由や民主主義は後回しにする「開発独裁」という形態があり、今もごく一部存在しています。国民に自由や民主主義を与えてしまうと、国家の方針がなかなか決まらないため、経済発展が遅れてしまうからです。

世界の警察官だったアメリカは、開発独裁については大目に見ていました。経済発展したところで民主化が達成される例が多かったからです。例えば、全斗煥政権までの韓国、2015年までのミャンマーなどです。中国もアメリカは開発独裁だと見ていました。

しかし、中国は違っていたようです。

「China 2049」の著者、マイケル・ピルズベリー氏も、「経済発展すれば民主化されるだろう」と、当初中国を開発独裁として容認していましたが、「裏切られた、騙された」としています。

「ナチスの手口」

民主主義国ドイツでナチスが独裁を行えた手口は、以下の通りです。

まず、ワイマール憲法の48条、緊急事態条項を見てみましょう。

公安に著しい障害が生じ或いはその虞がある時は、大統領は障害回復のために必要な措置を取り、また武力介入が出来る。このために大統領は基本的人権を一時的に停止出来る。」

これは、国家が「委任独裁」できる旨の規定であることがおわかりいただけるでしょう。

ナチスは、これを使い、ヒンデンブルク大統領令で、ワイマール憲法の人権条項を停止させました。そして、その上で、新しい憲法を作るためと称して、「全権委任法(授権法)」を国会で可決制定しました。

国民主権においては、憲法を作ることができる権力(憲法制定権力)は、国民が持っているわけです。国会は、国民の代表機関です。国会において制定された「全権委任法」なる法律は、もちろん、共産党や社会党の国会議員の大量の逮捕者を国会に出席させずに制定した、という点では制定手続きに疑義はあります。それでも、ワイマール憲法48条の緊急事態条項に基づくヒンデンブルク大統領令発出の状況下では、法実証主義のドイツにおいては、法の淵源(根拠)は議会制定法ですから、「全権委任法」は、一定の正当性を持っていると思われます。

これによって、何が起きたかといえば、ナチス政権は、ほんの一時的な「委任独裁」を、恒久的な「主権独裁」にすり替えたというごまかしが行われたと言っていいでしょう。

これが、麻生太郎現副総理兼財務・金融担当大臣の言った「ナチスの手口」です。

やばいのは「統治行為論」

もし、日本国憲法が改正されて、ワイマール憲法48条のような「緊急事態条項」が挿入され、緊急事態宣言下で人権条項の一時的停止が行われ、さらに、これを恒久的に停止させるような法律(更なる新憲法など)が可決された場合、国家による人権侵害に歯止めが効かなくなる恐れがあります。

なぜなら、日本の裁判所は「統治行為論」をとっているからです。統治行為論というのは、「高度に政治的な事柄については、裁判所は、その合憲性を審査すべきでない」という考えのことです。

この論は、衆議院解散の合憲性や日米安保条約の合憲性などについて、裁判所が憲法判断を回避する手法に結びつきました。

それこそ、ナチスの手口に学んで国家による人権侵害をさせないように私たちは注意なければなりません。

私は、個人の人権保障について、人権の最後の砦である裁判所が判断回避するようなことは起きて欲しくないと思っていますが、早稲田大学の長谷部先生をはじめ、多くの学者はそれを危惧しています。