幸田文 「雛」


常々私は、今の日本人の文化というものは、一つ上の世代から次の世代へ、きちんと受け渡しがなされていないように思うのです。

受け渡しがなければそこで文化は断絶してしまいます。

ちょうど今、現在、私たちの一つ上の世代(戦争を大人として経験した人を含む最後の世代)の文化が、危機に瀕しているように思います。

もちろん、「古きものは皆善きものなり」なんて、言うつもりはありません。

しかし、日本人は、今みたいな、こんなんじゃなかったのです。

私たちの一つ上の世代の人たちは、敗戦を経験して、自分たちの文化に自信がなくなってしまったのか、伝えることをためらってしまったのか、あるいは、受け渡される方が拒否したのか、たぶんその両方だと思いますが、先の世代の人たちとお話しすると、自分が、日本についていかに無知であったか、思い知らされます。

この件については、また別に詳しく書きたいと思います。

ところで、幸田文の「雛」という小説を先ごろ読みました。幸田文といえば、ご存知、幸田露伴の娘です。

この小説は、読んでいて、「雛」祭りをめぐる、主人公と、自分の両親、夫の(姑)との気持ちのやり取りを通して昔の日本人の感じ方、考え方が、すっと心に入ってきます。

今の日本人にはない感覚だなあ、そうか、こんなに繊細に、しかも深く、温かく人のことを考えているんだなあ、としみじみ思いました。