がんばれ民主主義!

コロナ禍で世界が混沌としています。専制主義の中国がコロナを制圧して経済回復、活況を呈しているのに対し、先進民主主義・自由主義の盟主であるアメリカは、まだまだコロナ制圧には程遠く、株価は高いですが、インフレも激しく、経済もあんまりパッとせず、にもかかわらず、大分断の真っ最中で、国民が団結することもなく、「スリーピークリーピージョー」の支持率は低迷しています。欧州、日本も同様な状況です。

こう見てくると、やはり、民主主義は制度として時代遅れで、見た感じ「柔らかな専制主義」というのが、これからの時代の最先端の制度なのでしょうかね。

先日、心ある方とお話していて、日露戦争後の日本の行き方について雑談しました。

日本は、満州における権益をロシアから引き継いで、満州国で壮大な社会実験をやりました。それは国家社会主義というやり方です。具体的には、東大の安富先生の本などを読んで頂ければわかるのですが、制度的には、社会主義的、統制主義的なやり方を貫くんです。ここで、よく機能したのは「公社」制度らしく、満州国は、実際のインフラ整備や財務管理、国民管理については、公社という政府の経営する企業体を中心に経済活動させて、市場も統制していくわけです。戦後の日本経済の発展も、実は、満州のやり方を踏襲して、目覚ましい成果をあげたらしいんですね。

とにかく、制度としては、ソ連と同じ国家社会主義をうまく機能させて、満州国の経済発展の実験成功に導きました。この仕組みを日本の内地にも適用し、世界恐慌後の混乱を収束させ、国家総動員法などを成立させて統制経済をどんどん強めていきました。

ナチスドイツも同じ手法をとって、ナチスは第一次世界大戦と世界恐慌の経済的混乱を収束させることに成功し、ヒトラーの支持を高めることに成功しました。

当時の日本もドイツも、制度としては、ソ連の真似をしたわけです。しかし、社会主義、共産主義のイデオロギーは徹底的に排除したわけです。社会主義、共産主義のイデオロギーというのは、日本の場合は、反天皇制、自由主義・民主主義です。

当時の日本の政治・経済のシステムは、かなり、スターリン主義に近いものでした。しかし、そのイデオロギーは完全に換骨奪胎されて、全く別のイデオロギーがそこに移植されたわけです。

それで、翻って、イデオロギーを抜きにして、現在の各国の政治経済システムを見てみると、戦前の日本やドイツに最も近いのは、中国だと思うのです。

社会主義市場経済というのは、社会主義計画経済といういわばいちばん左側を出発点として、戦前の日本やドイツのような統制経済にまで近づいたものではないかと思うのです。中国共産党一党独裁は、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と同じです。「中国共産党ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と読み替えても通用してしまうのではないでしょうか。全国人民代表大会は、中国共産党の翼賛機関です。

日本が、戦後の焼け野原から、「もはや戦後ではない」と言われるまで、わずか約10年、世界第2位の経済大国になるまでにさらに約10年です。この驚異的な経済発展は、満州国での統制経済のスタイルを官僚たちが踏襲した結果でしょう。一億総中流、社会主義化が最も成功した国、とか言われたこともあったでしょう。

中国は、日本の政治経済のシステムをかなり研究していると言われます。中国の現行のシステムも部分的には日本研究の成果でしょう。

もし仮に、日本が、かつてのような、国家総動員法、国民精神総動員運動と同じような、名前はもっとかっこよくさせて、導入したら、案外、すんなり様になってしまうことを恐れています。かつての国防婦人会のようなメンタリティの、自粛警察とか、マスク警察とか、たくさんいるでしょう。「欲しがりません、勝つまでは」なんて言い出しかねません。我々民衆の中に、そういう統制主義に迎合的なメンタリティの残滓が残っているからかもしれません。

頼りない現首相よりも、もっと優秀で、かっこよくて、的確な強いリーダーシップを持った政治的ヒーローが登場したら、国民は、案外すんなり、戦前のような統制主義を受け入れてしまうかもしれません。

そうして、どんどん世の中が窮屈になっていき、気がついた頃には我々は、身動きが取れなくなっているかもしれません。

民主主義というのは、権力の濫用を防止するために、わざと、摩擦と軋轢を決定過程に導入する仕組みです。ですから、決定までに時間がかかるし、間違うこともあるのです。そして、そのリスクは国民が負わなければなりません。

にもかかわらず、民主主義の方がよくて、専制主義がよくないのは、一旦、民主主義を失って専制主義になった場合に、それを元に戻す方法がないことです。政権が間違った場合、間違いをただす手段がなくなってしまうことです。

日本国民は、現政権が、オリパラ開催やコロナ対策について間違いを犯していること、スガーリンとか言われているように、現政権に、専制主義的な傾向があること、をわかっているでしょう。横浜市長選の結果からそのように推測します。

ということはまだ間に合います。戦前の統制経済のような、専制主義的な政治経済システムにしてはいけないと思います。

確かに、システム的に専制主義的になり、かつ、良い優秀な独裁者が出現した場合は、政策決定にかかる時間やコストが少なくて済み、実行もスピーディーにでき、一時的には景気は良くなると思います。

しかし、常に正しい判断ができる独裁者はいません。人間は必ず間違えます。

しかし、独裁者が間違った場合、現政権もそうであるように、自分から間違いを認めません。にもかかわらず、独裁者に間違いを認めさせ、政権を替えうる手段がありません。そして、人々は、正しい情報を知らされず、言論の自由もなく、反対者は社会から排除されていきます。

権力者の暴走を止めうる手段は、民主主義と自由主義にしかないのです。

戦う民主主義というのがあります。

これは主にドイツでとられている考えです。自由の敵、つまりナチズムなどの全体主義をはじめとする自由を否定する考えを持つ人々には、さまざまな自由の恩恵を与えないという考えです。

そういうことで、現在、ドイツでは、ネオナチなどは違法であり、表現の自由も集会・結社の自由も認められません。「自由の敵には、自由を享受させない」という考えです。

日本の立場はというと、原理的には徹底的な価値相対主義であると言われています。つまり自由の敵にも自由を与えてしまっている、わけです。

もちろん、自由の敵とは、ファシズムだけではなく、社会主義的全体主義も入るでしょう。

つまり、中国のような政治的自由を認めない体制を作ることは、ドイツでは困難であるように思えます。事実、ボン基本法では緊急事態命令については、政府に発出権を与えていません。主権者である国民代表機関の国会や裁判所の統制のもとにおこうとしています。従って事実上の独裁を防止する制度的な歯止めがあると言えます。

自民党の憲法改正案を見ると、色々と条件をつけていますが、行政権に緊急事態宣言発出の権限を与えてしまっています。やはり、これは、問題ですね。麻生太郎氏が以前おっしゃっていた、「ナチスの手口」に学んだのでしょう。

従って、自由の敵は、虎視眈々と自由と民主主義を無きものにしようと狙っています。

ということで、日本国民は専制主義をゆるしてはいけません。横浜市長選で野党推薦の候補が勝利したことを知って、今日は、こんなことを書いてみました。