秘すれば花?

「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」といいます。また「沈黙は金、雄弁は銀」、ともいいます。また、私の知っている西洋の古いことわざに、「一方に他方をよく知らしめてはならない」というのもあります。
確かに、悲嘆、怨嗟、悔恨といった感情の表現は、読み手には不愉快かもしれません。また、自己陶酔的表現も読み手に不快感を与えるかもしれません。しかし、もしこのブログにそういうものがあるならば、それは最もナチュラルな自分に近いと思っています。

ところで、「幽玄」というのは、奥が暗くてよく見えずどのくらい深いかわからないというほどの意味です。つまりものすごく大雑把にいえば、よくわからないからすばらしいということです。だからある意味ハッタリの妙味なのです。

私は、表面的には南太平洋のマンボウのように、ボーッと何も考えていないように見えるので、賢明な人、洞察ある人は、ある種の「幽玄」を感じ、丁寧に慎重に接してきます。そういう人たちはやはり、さすが、と思う人々です。私の中にご自分をご覧になるのでしょう。

逆に、横柄に、安易に遇されることも多いです。あまりにボーッとしていて何も言わないので、あさはかな初対面の人からナメられるのです。

この間も何かの酒席で、初対面の人に「君は社会科学系のことはわかるかな?」と横柄にいわれました。あまりにボーッとしていて、何にもわからない奴だと思われたのでしょう。

社会科学系?会社の面接じゃあるまいし、この席でなんて訊き方するんだよ。お前面接でもしてるつもりか?

私がこんなことを思ってしばらく黙っていると、「つまり、政治とか経済とか法律とかのことだよ」って、追加説明が入った。

でも、もちろんそんな奴にキレる方が損だから、「んーっ、ほんの少しならわかります・・・(^^;)」って言っておきましたけど。

逆に言うと私が真顔で怒ったところを見た人というのは私にとって大事な人です。このブログを読んでくれる人は、私の大切な人です。私の身近な大切な人々に対してはハッタリをきかせる必要は全くないし、いいところだけを見せようとも思いません。見せかけの自分では、疲れてしまいます。よいことも悪いことも素の自分を知って欲しいです。会った時に誤解されないように。どうでも良い人には誤解されても構わないけど、やはり、大切な人には誤解されたくないです。

というわけで、怒るべきことは怒り、悲しむべきことは悲しみ、喜び、楽しみたいことは心の底から楽しくありたいと思っています。これからもそういう風にしてブログ書いていきます。どうぞ、よろしくご贔屓に。