「檸檬」を久しぶりに読みました。

梶井基次郎の代表作と言っていい、「檸檬」を本当に久しぶりに読みました。

彼の憂鬱は、結核による死の恐怖に負うところが大きいのだけれども、生活に倦み疲れている点は、非常に共感できます。

生活の荒廃を忘れるために、無気力な触角に媚びるもの、つまりは、きれいな贅沢なものにあこがれて、現実逃避の中に安楽を求める彼、その気持ちもよ~く解ります。

それで、贅沢な高級品がたくさん置いてある「丸善」に行くのですが、気後れしてしまい、また、学校をドロップアウトした彼は、洋書や、またそれを読んでいる学生、そして勘定台などを見ると、自分の辛い現実に引き戻されて苦しくなるのです。

そんな中、夜の八百屋の店先で、ふと、一個の檸檬を買います。

そのレモンの鮮烈な色彩や香り、重さなどが、彼をなぜか、幸福にするのです。

その幸福な気分のまま、再び「丸善」にいくのですが、また、重苦しい気分になり、憂鬱が襲ってきます。そこで、彼は、懐の檸檬を取り出します。

檸檬の鮮烈さに、彼は憂鬱を救われます。

そして、自分が棚から降ろして平積みにした何冊かの画集の上に檸檬を置き、そのまま店を出てしまいます。

そして、彼は、その檸檬を爆弾に見立て、それが爆発するところを空想します。

そうやって、重苦しい日常の憂鬱をしばし忘れ、そして、今まで現実逃避ばかりしていた自分の精神に何かしら積極的なものを見出したかのように小説は幕を閉じます。

この「丸善」は、日本橋の丸善ではなくて、2005年に閉店してしまった京都の「丸善」です。京都の丸善には、檸檬を実際に置いてくる人がたくさんいたそうです。丸善では、バスケットを用意して忘れ物として扱っていたといいます。

重苦しい現実を吹き飛ばしたい人がたくさんいたのでしょう。