呪殺祈祷僧団について

呪詛というものには手を出さない方がいい。
人を呪わば穴二つ。
呪詛の怖さは身に沁みて知っている。


世の中には、殺してやりたいと思う奴もいるが、本当に殺す価値のある人間は非常に少ない。個人的には、本当に、呪詛はやめたほうがいい。

それでも、洋の東西を問わず、呪詛で誰かを呪い殺す、という行為は、よく行われているようである。

日本国内でも、大昔から、盛んに呪詛が行われてきた。

例えば、先の大戦中も、某密教の高僧たちが敵国首脳を呪殺する祈祷を行ったと聞いている。

また、戦後の高度成長期、四大公害病の裁判の時、公害企業主呪殺祈祷僧団というものが組まれたことがある。

刑法の教科書に、丑の刻参りなどの呪法は、不能犯と言って、殺人の実行行為にはなり得ない、というような説明があるのを私はみたことがある。

1970年当時の呪殺祈祷僧団は、公害を起こしている企業の工場などを訪れて、呪殺の祈祷などを行ったわけであるが、殺人罪にはならないものの、名誉毀損罪になるのではないか、という議論もあったようであるが、もちろん名誉毀損にもならなかった。

その呪詛のおかげかわからないが、翌年、公害国会が開かれて、公害対策基本法の中の、いわゆる「経済との調和条項」が削除され、環境庁が設置され、さらに、その後、四大公害病裁判は全て原告が勝訴する形で終わっている。

最近では、原発関連企業主や再稼働を容認した政府、安倍前首相を呪殺するとして、再び結成されたのが、呪殺祈祷僧団四十七士(JSK47) という僧団である。

この呪詛のためか、安倍首相は、7年8ヶ月の長期政権に幕を下ろすことになった。

リンクをご覧になればわかるが、この僧団はまだ活動している。ただ、呪殺祈祷をするだけでなく、震災被害者の鎮魂祈祷なども行っているようである。賛否両論喧しいだろう。