
前回からの続きです。前回の内容は こちら です。
シュタイナーの思想体系は複雑で膨大なものですので、体系の最初からをいちいち紐解いていたのでは、このブログの読者様にとって必ずしも興味を惹くものにならない可能性があります。
そこで、優先順位をつけて、調べていくことにします。
その優先順位とは、以下の通りです。
1.アーリマンが三千年期(西暦2000年以降)に受肉し、ルシファーとサタン(?)を使って、人類に大災厄をもたらす、ということの意味を詳しく調べること。
2.日本は地球の頂点であり、日本が、世界に起きる大災厄の雛形になり、日本で、数々の大災厄が起きる、ということの意味を詳しく調べること。
3.人類は霊的な進化の途上であり、大災厄が進化を促すことになる、ということの意味を詳しく調べること。
以上をます詳しく調べようと思います。
限られた時間と能力の中でどこまでできるかわかりませんが、やってみたいと思います。何回かに分けてやっていくことになります。
今回は、第3回目、シュタイナーの、三千年紀(西暦2000年〜)にアーリマンが受肉し、ルシファーとともに、人類に大災厄をもたらす、という予言について お伝えします。
「三千年紀(西暦2000年〜)にアーリマンが受肉する」とは?
↑この本に、3000年紀のアーリマンの受肉についての予言が載っています。
この本に、アーリマンは、人間、特にヨーロッパの人間に受肉する、と書いてあります。
詳しく引用します(同書p200~)。
「アーリマンの霊たちは受肉することはできませんが、人間の肉体に入り込むことはできます。つまり一時的に人間の魂に浸透し、人間の肉体を貫くことはできるのです。すると、アーリマン的な知性の見事な、光輝くような、抜きん出た精神は、ここの人間の中で働く場合よりも強いものに__遥かに、遥かに強いものになります。その人間は、それまでに非常に多くのことを学んでいるかもしれません。この人物の物質体が、学んだ事柄によって完全に捉えられるならば、あるアーリマンの霊がしばらくの間、その人の肉体の中に入り込むことができるのです。そうなれば、その人の目を通して見ているものがアーリマンだということになります。つまりその人の指を動かしているものがアーリマンです。その人となって鼻をかんでいるのがアーリマンです。」
わかりにくいですね。同じページに注がありますので、そちらも、引用しておきます。
「ここでシュタイナーは、『アーリマンの受肉』について、よくありがちな誤解を避けるためにこのような説明を行っている。アーリマンの霊は、例えばある女性の胎内に宿り、赤ん坊となってこの世に生まれるわけではない。実際には、ここでシュタイナーが述べているとおり、アーリマンは、ある学識豊かな人物に一時的に憑依することで、地上の世界に直接働きかけようとする。これが『アーリマンの受肉』である。」
西暦2000年以降で、アーリマンが、学識豊かな人に憑依して、地上世界に働きかける、ということがわかりました。そして、それは、西欧世界で起きるそうです。
しかも、ただひとりの人に憑依するとは書いてありません。もしかすると、たくさんの人々にアーリマンは憑依するのかもしれません。
アーリマンが受肉すると何が起こるか?
人類の文化がアーリマン化されるそうです。霊視的な知識に関して、今まで大変な苦労や努力をしないと獲得できなかったようなあらゆるものを我々人類に与えてくれるそうです。それは、アーリマンのみごとな技術によるそうです。
これによって人間は何もする必要がなくなり、物質的に安穏と生きることができるようになるそうです。人間は戦争の破局がやってきた後ですら、食べたり飲んだりできるようになるそうです。そして、何らかの精神的な努力について、心を煩わせる必要もなくなるそうです。アーリマン的な潮流が「美しく、善く」進行していくそうです。
これは、待てよ、インターネットや通販ビジネスのことを言っているのかな?と思えます。日本をはじめとする先進国の住民は、何の精神的な努力をしないでも、簡単に、情報、食料、生活必需品が手に入る時代になっていますよね。まさに、魔術とも見紛うテクノロジーと経済発展のおかげですね。これが、アーリマンのやり方だということでしょうか。
もし、正しい時機にアーリマンが西欧世界に受肉すれば、アーリマンは巨大な秘儀の学校を創設するだろう、とシュタイナーは言っています。この秘儀の学校では、極めて壮大な魔術が行われ、それ以前は苦労することによってのみ獲得できたあらゆるものが、人類の上に注ぎ込まれることになるそうです。
「私たちはここで、『地上に降りてくるアーリマンが一種の悪魔のような姿をして、人間に可能な限りの悪を働く』などという俗物的な考え方をしてはなりません。そうではないのです。『私たちは精神科学について何も知りたくない』という不精な人たちは皆、アーリマンの魔力に負けてしまうのです。と言うのも、アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人間を霊視者にすることができるからです。アーリマンは個々の人間を恐ろしいほどに霊視的にするでしょう。しかし、どのように霊視的にするかは、個々の人間で全く異なっています。一人の人間が見るものは、二番目の人間には、そして三番目の人間には見えないのです。人々は混乱し、霊視的な知恵の基礎を受け取ったにもかかわらず、互いに争ったりけんかしたりするようになります。なぜなら、さまざまな人間が見るものは、それぞれ極めて異なったものになるからです。しかし最終的には、人々は自分たちの霊視能力に非常に満足するようになるでしょう。というのも、彼らはそれぞれ霊界を覗き見ることができるようになるからです。しかし、その結果、地球の文化は全てアーリマンの手に落ちることになるでしょう。自分の力で身につけなかったものをアーリマンから受け取りことで、人類はアーリマンの手に落ちるでしょう。『今の状態に留まりなさい。君たちが望むなら、アーリマンは君たちを全員、霊視的にするだろう。そして君たちはそれを望むだろう。なぜなら、アーリマンは大きな力を持つようになるのだから』というのは、人間に与えうる最も悪い助言になるでしょう。その結果、地上にアーリマンの王国が建設され、地球全体がアーリマン化されるでしょう。そして、それまで人間の文化によって築き上げられてきたものは、いわば崩壊していくことになるでしょう。現代の人間が無意識的な傾向の中で欲している善くないことが、全て実現されることになるでしょう。」
長い引用になってしまいました。シュタイナーの言い方がわかりにくいのか、訳が悪いのかわかりませんが、言っていることがわかりにくですね。
ここでいう、アーリマンの魔術というのは、おそらく科学技術のことですよね。科学技術のおかげで、20世紀の前半から見ると、魔術のように見える技術がたくさん出現しています。
例えば、シュタイナーが上の引用で言っている、アーリマンが人間に見せる「霊界」というのが、ネット上の仮想空間、バーチャルリアリティのことのようにも解釈できます。人によって見え方が違う、というシュタイナーの指摘も、個人個人専用に作られた仮想空間なら、納得できます。
もうすでに、SNSの記事も、個人専用にアレンジされて端末に表示されます。誰ひとりとして同じ現実を見ている人はいない、ということはすでに実現しています。このために、社会的な分断が生じていますよね。それでも、人々はネットから離れることはできない。すでに、アーリマンの王国は地上に実現していて、我々はアーリマンの奴隷なのかもしれません。
だとすると、我々は、すでに、アーリマンの引き起こす大災厄の只中にいるのかもしれません。シュタイナー予言って、怖いくらいに当たっているように思います。
まだ続くのですが、長くなってしまったので、続きはまた次回にします。このあと、アーリマンがもたらすさらなる大災厄についての言及となります。
シュタイナーの続編本当にありがとうございます。要点を得た要約と分析に感嘆しています。聖書に「先のものが後になり、後のものが先になる」との言葉がありますが、大学学部の年だけ先輩として後輩の英知に驚嘆、感謝すると共に、不明を恥じるのみです。具体的な悪の形として出現するのではないという考えは傾聴するに値すると思います。所謂人類の英知と進歩と称され自負してきたものが、実は・・・ということでしょう。『「精神科学について何も知りたくない」という不精な人たち』とは言い得て絶妙な感覚だと思います。前回の「ぼお~と生きてるんじゃねえよ!」にも繋がるのかもしれません。俗な言い方になるのかもしれませんが、「心に目覚める」必要がある、効果・効能のみを享受するだけではなくということかもしれません。これ言うことだけは簡単ですが、非常に難しいことです、そのように生きることは。貧しい脳内細胞で至らぬ考えを巡らしています。今心に問うていることは、新約聖書の福音書に書かれているイエス様に対するサタンの誘惑を思い出して考えてみる必要があるかなと。続編をお待ちしていますが、ご無理のないようにと願います。本当にありがとうございます。
中尾さん
コメントありがとうございます。
アーリマンのもたらす大災厄は、すでに始まっていますね。今、特に顕著なのは、人々の間の不信心と大分断でしょう。原因は、何も考えず、神様のこと、霊界のことなど何も考えず、ボーッと生きていても、飲食や生活に必要なものが手に入ってしまうところにあるのかもしれません。
そして、アーリマンの見せる霊界(インターネットの仮想世界)に人々は満足してしまい、自分で霊能力(他人や社会に対する洞察力)を開発しようとは思わないのでしょう。他から潤沢に与えられるどうでもいい情報に満足してしまい、またそれなしには生きていけなくなり、アーリマンの虜になるのでしょう。こうなると、人間は自分が実際に見て感じたり判断したりすることができなくなり、「科学的」データや専門家、権威者の言うことだけを根拠に正しさを判断することになります。知性ばかりを増大させ、感じる力はどんどん失われていくのです。利己主義に陥り、他人や社会のことは全く気にかけなくなるでしょう。
そして、霊能力の中には「理由はわからないが、何か変だぞ」という直感も含まれます。これを人間が失なってしまえば、ただの機械と同じです。人類はアーリマンにロボットにされていくのでしょう。もし、そうなってしまえば、人類の霊的進化は止まってしまい、我々は絶滅してしまうでしょう。
シュタイナーは、アーリマンの力が、100%悪いものだとは見ていません。アーリマンの力、ルシファーの力も人類の霊的進化には必要なものだと言っています。そして、アーリマン的な力、ルシファー的な力にバランスをもたらすものが、キリスト的な力だそうです。紀元前3000年紀にルシファーが最初に受肉し、その後、紀元0年紀にキリストが受肉し、紀元3000年紀にアーリマンが受肉するのは、神の計画の一部だそうです。
人間が、善悪を選択できる自由を得て、その結果、悪を選ばず、善を選ぶなら、人間に自由を与えたアーリマンやルシファーも、「聖霊」になることができる、人類も、アーリマンやルシファーの進化について重要な役割を果たしている、とシュタイナーは考えているようです。
聖書に描かれているサタンの誘惑についても、私も、もう一度読み直して、考え直してみます。聖書にこそ、大きなヒントが隠れているかもしれません。いつも気づきをありがとうございます。中尾さんがいらっしゃらなければシュタイナーを勉強しようとは思いませんでした。また、中尾さんは、大賢でいらっしゃるのにいつも謙遜なさっています。本当にできた方でなければ、なかなかできることではありません。私などが面と向かって申し上げるのは失礼ですが、大学学部の大先輩である中尾先輩にいつも尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。
引き続きどうぞお付き合いくださいませ。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
シュタイナー思想についてのまとめをありがとうございます。以下の部分でピンと来たことがあります。
アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人間を霊視者にすることができるからです。アーリマンは個々の人間を恐ろしいほどに霊視的にするでしょう。しかし、どのように霊視的にするかは、個々の人間で全く異なっています。一人の人間が見るものは、二番目の人間には、そして三番目の人間には見えないのです。人々は混乱し、霊視的な知恵の基礎を受け取ったにもかかわらず、互いに争ったりけんかしたりするようになります。なぜなら、さまざまな人間が見るものは、それぞれ極めて異なったものになるからです。
これは、まさにこれから行われることなのだと思います。酸化グラフェンという磁化する物質がわくの中に入っているそうです。確か鼠のインターネット実験、つまり遠隔で食欲を思うようにコントロールできたそうです。これが今後人間に対して行われることなのだと思います。5gで酸化グラフェンが体内にある者同士はテレパシー能力も獲得できるのでしょう。そして遠隔で統失の方のようにそれぞれに見たいものを見せられるのかもしれないと思いました。ほとんどの人間はこのときコントロールする側に入ることはなく、される側になるか、拒否して戦うかになるのでしょうか。違う未来にいきたいものです。
いつか何かが起こってすべてが変わるという話もあって、そちらに希望を持ちます。
みーこさん
コメントありがとうございます。
酸化グラフェンのことお知らせくださってどうもありがとうございます。インディープの岡さんなどが、かなりよく調べて言及されている印象を受けました。
もし、巷間言われていることが本当だったら、ワクを打った人たちは、今後操作されてしまうのでしょうか。
電磁波を使って人心を操る方法も確立されているようですので、人心操作の前段階としてのワクの接種だとしたら、これからとんでもないことになりそうですね。
また、誰かがとんでもない実験をしようとしているとも言えますね。
私も、自然免疫を強くして、なるべく人工的なワクのようなものを取り入れたくはないと思っていますので、ワクの推進派の方たちとは意見が違います。かと言って、ワク推進派の方たちの気持ちもわかります。しかし、問題は、そういうことを人々に知らせないで、密かに怪しげなことをしようとしている奴らがいることでしょうね。アーリマンが乗り移った奴らでしょう。そういう奴らに、魔術的な幻影を見せられて操られたくはないですね。そうならないように、ワクに乗じて体内に異物を取り込まないで、自分の霊能力を磨くしかないですね。
貴重な情報をいつもありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。