
前回からの続きです。前回の内容は こちら です。
シュタイナーの思想体系は複雑で膨大なものですので、体系の最初からをいちいち紐解いていたのでは、このブログの読者様にとって必ずしも興味を惹くものにならない可能性があります。
そこで、優先順位をつけて、調べていくことにします。
その優先順位とは、以下の通りです。
1.アーリマンが三千年期(西暦2000年以降)に受肉し、ルシファーとサタン(?)を使って、人類に大災厄をもたらす、ということの意味を詳しく調べること。
2.日本は地球の頂点であり、日本が、世界に起きる大災厄の雛形になり、日本で、数々の大災厄が起きる、ということの意味を詳しく調べること。
3.人類は霊的な進化の途上であり、大災厄が進化を促すことになる、ということの意味を詳しく調べること。
以上をます詳しく調べようと思います。
限られた時間と能力の中でどこまでできるかわかりませんが、やってみたいと思います。何回かに分けてやっていくことになります。
今日は、第2回目で、アーリマンの続き、ルツィフェル(ルシファー)についてです。
ルツィフェル(ルシファー)とは何か?
「アーリマン」は、人間を物質界に引き止める力を持っているのに対して、「ルツィフェル(ルシファー)」は、人間を物質界から引き離し、魂を高揚させ、感覚世界で幻影を見せる働きをするそうです。
「ルツィフェル(ルシファー)」は、神秘主義と芸術を人間に志向させるそうです。
「ルツィフェル(ルシファー)」は、元々は、高位の大天使の一人で、地球の進化の太陽紀から月紀にかけてあった「天上の戦い」で自由になった存在です。
つまり、運動霊(キリスト教でいうデュナメイスのことで、人間の進化を妨害する、「妨害の神々」となった)により誘惑され、「ルツィフェル(ルシファー)」は、月から分離した太陽に行くことに反抗しました。この反抗によって自由になることが可能となりました。
太陽に行くことで高次の霊的進化を遂げた他の高位の天使たちから、「ルツィフェル(ルシファー)」は、進化に取り残された格好になりました。それまでは、高位の天使といえども、善悪のうちのうちのどちらかを選ぶ自由を持ってはいませんでしたが、「ルツィフェル(ルシファー)」は、初めて自由を得て、進化の過程から独立した存在になったのでした。
「原罪」の本当の意味とは?
「天上の戦い」で悪に落ち込んだ天使たちは、「ルツィフェル(ルシファー)的存在」と呼ばれ、月紀のあとの地球紀のレムリア時代に人間に悪の可能性を生じさせました。すなわち、それまでアストラル界にいた人間に自由と感覚的欲望を与え、感覚的世界へ人間を引き下ろしたのでした。
そして、人間は、神様の決めた進化の予定より早く感覚的世界よりさらに下位の物質界に降りて肉体を持ちました。しかしながら、物質界の背後にある霊的世界を見ることができなくなってしまいました。
シュタイナーによると、キリスト教でいう「原罪」とは、上記の出来事を指すそうです。
苦痛、病気、苦悩の意味とは?
「ルツィフェル(ルシファー)」は、人間に自由と感覚的欲望を与えて、人間を誘惑しました。人間が、このルシファーの誘惑に無制限に陥ってしまわないように、高級霊特に形態霊(エクスシアイ)は、その対抗手段として、人間に苦痛、病気、苦悩を与えたそうです。
ルシファーの誘惑は、利己主義、名誉心、高慢、虚栄心を煽り立てることにより行われますが、人間が、これらを無制限に満たそうとすると、苦痛、病気、苦悩を結果するように形態霊が仕向けたということです。苦痛、病気、苦悩が人に生じるのは、「限界を超えたよ」という形態霊による警告サインだということです。
ルシファーの誘惑は、神の計画の中で、人間の霊的進化を促すために必要なものらしいのですが、度を越すと、病気、苦痛、苦悩があるということですね。そこで、シュタイナーは、ルシファーの誘惑に対抗するためには、「道徳」が有効だとしています。道徳は、ルシファーを焼き尽くす青い炎だと言っています。
道徳に従っているとルシファーの誘惑による私たち、人間の行動が度を越すことがなくなり、病気、苦痛、苦悩は生じないということでしょうか。うーん、何とも言えないですね・・・。まあ、シュタイナーの言うことを一応は、聞いておくことにしましょう。
さて、次回は、いよいよ、3000年紀(西暦2000年〜)に、アーリマンとルシファーが人類に大災厄をもたらす、ということの意味を探ってみます。
シュタイナーについてのご紹介、2回目、ありがとうございます。ルシファーについてですが、このように解説されていることに驚きです。聖書は悪の起源や原罪の生起について、ある面イエス様がなされたように、比喩や例えによって本質を考えさせるようにしている面があります。そして「耳ある者は聞くが良い」と語られているように。強制よりも人間が自らの自発性で求めていくことが望まれているのでしょう。「求め(続け)よ、さらば与えられん。探せ(探し続けよ)、さらば見出さん。叩け(叩き続けよ)、さらば開けてくれるだろう」というように。NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」でお馴染みの「ぼぅ~と生きているんじゃねえよ!」は英語では「do’nt sleep through life!」(目覚め居れ!)ですよね。今の時代に流されないためにも必要なことと自戒をしています。今回ご紹介を頂いた原罪への考察など頷けるところ多くあります。このような深い内容を値無く教えて頂けること幸いと感謝します。次回のテーマについても期待をしています。ありがとうございました。
中尾さん
コメントありがとうございます。
シュタイナーは、悪について、絶対悪というものはないと考えているようでして、アーリマンもルシファーも神の大きな計画の中で役割を果たしており、人類の進化には必要不可欠なのだというスタンスですね。
また、シュタイナーの説明する原罪は、聖書にある原罪とは違う感じですね。人間が唯物論に陥り、利己主義や虚栄心に心を奪われ、霊的世界に対して盲目になってしまうことを原罪と言っているようです。
私なりの解釈ですが、人間というのは、油断をすると、刹那主義、現世主義に支配されて、死後の世界、死者の世界を思いもしないで、利己的に生きること、これが原罪なのかもしれないと思っています。
科学万能主義を含む唯物論と、対人的な面での利己主義、虚栄、高慢に支配されている現在は、アーリマンが人々に受肉し、ルシファーの誘惑に負けて、利己主義、虚栄、高慢に支配された人々が巷に溢れかえっていますので、確かにシュタイナーの予言した三千年紀の状況そのものです。
この時代、人類に大災厄が降りかかるそうですが、それがどんなものなのか、次回調べてみます。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。