占いと世界線の収束について

いつも、占いで使っている易ですが、易はもともとは、「変化」という意味で、万物は永遠に変化し続ける、ということを表しています。

世界線も常に変化し続けていく点で共通しています。この世界線の変化と、易の卦の変化は、シンクロしているのではないかと思います。そして、それは、一種の観測者問題と関係があるように思います。

すなわち、量子論的には、振動して、あらゆる並行宇宙が渾然一体となって渦巻いている状態から、占いをして宇宙を「観測する」ことによって、ひとつの「現実」となり、ひとつの世界線が現れてくる、これを読み解くことによって、現実化しそうな未来を予測する、これが、占いという行為なのかもしれません。

ただ、それを読み解くのは人間ですので、人間としての限界があるのではないかと思います。占いはひとつの現実、ひとつの世界線を表していて、そこには経験や感じ方、考え方の癖のようなものがあり、どうしても、完全に客観的にそれを読み解くとことは不可能です。

しかしながら、これをただ機械的、客観的に読み解くだけでは不十分です。占星術を含めて、占いには、インスピレーションが必要なところがあります。やはり、そのインスピレーションも、既知の情報を解釈して、今後、どのように展開していくかを予測する時には、ほんの少し必要です。

単なる機械的な論理演算処理とは違うようにも思いますし、脳という一種の量子コンピューターの高速演算処理の結果であるようにも思います。この微妙なところが、世界線の解釈において必要で、もしこれを数値化できれば、未来予測として、占いは大いに科学になりうる可能性を秘めているようにも思います。そうすれば、占いに対する単なる出まかせ的なものだという評価もなくなるでしょう。

ところで、知り合いの宇宙人コンタクティの話だと、宇宙人は、スピリチュアル一般、アセンションやチャネリングにはかなり批判的で辛辣に否定するのだそうですが、反面、占星術などの占いには肯定的で、「学ぶべきだ」と言っているそうです。なにがしかの真理がそこにはあるのでしょう。