Lamの亡霊に怯える

Lamの亡霊に最近悩まされています。もちろん比喩ですよ。

菅さんは、言われているほど、庶民派でも、苦労人でもないし、それに、国民のことを思っているようには全く思えません。意見の違う人は徹底的に排除する。おまけに、古谷経衡氏のいうように、戦争の悲惨さも知らず、また、恐ろしく危険な側面もお持ちです。

そして、こちらをご覧ください。

三橋氏によると、彼の政策は、小泉構造改革の二番煎じだという話です。

何の国家観もなく、人権観念も、民主主義も理解していない。自分の気に入らない奴は、遠ざける。それでも、自分は日本のためになっている、と思っている。仕事をしていると思っている。仮に携帯電話の料金が下がっても、国全体を衰退させるような政策は、ごめん被りたい。

彼の周囲は、イエスマンばかりになり、彼は「裸の王様」になっていく。

そして、「自助・共助・公助」の「自助」が強調されて、「公助」がおろそかにならないように、お願いしたいものです。

失業率は高まり、切り捨てられた地方、弱者は、東京に再び集中し、そのタイミングで、首都直下地震でも起きたらもう目も当てられません。

地銀統合、中小企業も弱小は切り捨てられる。自己責任の名のもとに弱者を切り捨てる、こんな政策はどうか勘弁して欲しいです。

このイエスマンばかりの官僚は、最近、劣化が著しいですが、自分たちは優秀だという幻想に陥っているように思われます。それは、GOTOキャンペーンの様々な不備を見れば明らかに制度設計のミスであることは明らかです。日本の官僚はもっと優秀であったはずなのに、この体たらくです。

ところで、このかたもLamにそっくりですね。背筋が凍りつきました。

日本の行く末が心配です。ずっと続いている、嫌な予感が当たりそうです。