日本の全体主義化

General MacArthur & Emperor Hirohito

先日、ある勉強会に参加しました。

そこでのテーマの1つが、「日本の全体主義化」についてでした。

今日は、そのまとめと考察をしてみたいと思います。

1.戦後日本の出発点

・極東国際軍事裁判とサンフランシスコ講和条約で、明確化した事項は以下の3つです。

(1).日清戦争以降の日本の戦争は、全てアジアの侵略戦争であった。
(2).その侵略戦争を主導したのは、軍部と一部の国家主義的な指導者であった。
(3).天皇および国民は、その被害者なので、戦争責任を負わない。

以上は、日本が国際社会に復帰して現在までの立ち位置を決定した重要な事項であると考えます。
戦後日本政治は、国内的にも国際的にも、この枠組の中に制限されてきました。

・冷戦構造下で日本の役割が変化

戦後すぐに、GHQによる右翼結社の解散命令がありましたが、左翼に対する防波堤の必要から、右翼結社の禁止が解除されました。

1946年、神社本庁が設立されました。

2.第1の転換点

・1960年の安保改定とその反対運動

岸内閣の安保改定の強行採決の反対運動は、社会主義、労働組合運動への大衆の支持が絶頂に達したことの現れでした。

これに対抗するため、岸以降、右翼の武闘派の活躍が目立つようになり、ヤクザも右翼化し自民党の用心棒となりました。

街宣右翼が多数出現することとなりました。

・新左翼と新右翼の誕生

東大安田講堂事件(1968)後、よど号ハイジャック事件(1970)、あさま山荘事件(1972)など左翼が過激化し、大衆の支持を失っていくのに対し、新右翼が誕生しました。三島由紀夫の「楯の会」、鈴木邦男の「一水会」そして、後述する日本青年協議会などがその代表です。

新右翼は、従来の「街宣右翼」とは、根本的に異なります。特に、日本青年協議会は、1968年から始まる元号法制化運動の中核を担い、全国の地方議会に決議を促し、ついには政府を動かして、1979年、元号法の制定に漕ぎつけました。

しかし、日本青年協議会は、表立った活動は一切せず、日本全国各地に広がって地域で地道な活動を続け、ついに巨大な組織を作り上げました。また、神社本庁は、その政治局とも言うべき、神道政治連盟を1969年に設立しました。これには、現在320人の国会議員が所属しています。

3.第2の転換点

・バブル景気と日本民族意識の台頭

1980年代になると、バブル景気を背景として日本の民族意識が高揚し始め、各界の著名人が右傾化してきました。
さらに、1990年代、地下鉄サリン事件などによって新興カルト教団離れが進んだことから、新興宗教団体も存続の危機感を募らせることになります。この動きを背景として、1997年、日本会議が設立されました。

4.第3の転換点

・小泉政権

小泉政権は、従来の派閥による再配分政治を打ち壊しました。公共投資を減らし、地方分権を打ち出したことによって、建設業界や農協と言った従来の自民党の支持基盤が崩壊していきました。

・政権交代

この流れは、2009年の民主党を中心とする政権交代によって決定的となりました。自民党は野党となり、従来の支持基盤を完全に失うことになりました。

この時期に、自民党は支持基盤として日本会議と完全につながりました。日本会議に参加している国会議員は自民党を中心に289名、現職閣僚は15名が日本会議のメンバーです。

5.日本会議の目指すもの

・天皇制国家への復帰

美しい日本を守る、天皇を父親とする日本国民総家族主義などを理想として掲げ、戦前の天皇制への完全復帰を目指しています。そのための憲法改正を目指しています。その他、安保法制の改正強化、極端な男女平等への反対、天皇や神道を尊崇する皇民教育、首相の靖国神社公式参拝、外国人参政権反対などの運動をしています。

・戦後日本の出発点の否定

日本会議の前身、「日本を守る会」の創設者、生長の家の谷口雅春は、「大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたのは、飽くまでも無明(まよい)と島国根性に凝り固まった「偽の日本」であって、本当の「神洲日本国」は敗れたのではない」、とし、戦後日本の出発点を否定しています。

6.日本会議の構成要素

・日本青年協議会

現在の日本会議の会長、椛島有三氏を中心として長崎大学の保守系の学生によって組織された長崎大学学生協議会に始まり、1968年の元号法制化運動の中核として活動し、全国的に組織されました。現在も、日本会議の中核と思われます。

・新興宗教団体

そもそも「生長の家」の谷口雅春の呼びかけによって組織された団体で、神社本庁、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団、オイスカ・インターナショナル、三五教等、宗教団体や宗教系財団法人等が多数参加しています。特に神社本庁とは、つながりが密接です。2015年の時点で、日本会議の役員62名のうち24名が宗教関係者だそうです。

・国会議員や地方議会議員、財界

日本会議国会議員懇談会、日本会議地方議員連盟があり、「国会議員懇談会」には国会議員が約289名、民主党、次世代の党など、超党派で参加しています。財界で連携する組織としては、日本会議経済人同志会があります。歴代の会長は、ワコール、石川島播磨重工などの会長、最高裁判所長官など、錚々たるメンバーです。

7.全体主義化が目指すもの

・成長限界にある日本

世界の先進国と同様に、経済成長に限界が来ています。すなわち、耐久消費財、IT、家電などの産業がBRICS諸国に移動しています。世界経済を牽引していく成長地域は、先進国から移動してしまっているのです。しかしながら、先進国は高い生活水準を維持するために人件費が高騰し、産業は完全に国際競争力を失っているのです。先進国の成長部門としては、金融業くらいしか残されていません。

FRB、ECB、日銀は、人為的成長を装うため、過剰な金融緩和をしなければなりません。この金融緩和はいずれハイパーインフレをもたらします。ハイパーインフレによって、実質賃金が激減し、15%前後と言われる企業の利益率が無に帰すと、生産的投資を誰もしなくなり、経済は成長どころか、破綻を迎えます。国債の金利が暴騰し、日本はデフォルトに向かいます。アベノミクスはこの経済破綻を早める役割しかしないかもしれません。

Japanese Emperor Akihito Hirohito

・日本全体のために個人の自由や人権を抑制し、さらに国民を管理する

こうした成長限界を迎えた先進資本主義国、特に日本は、有限な資源を平等に分配するのではなく、序列化、階級化して、個人の自由や人権を制限する体制へと移行していくのではないか、と危ぶまれます。国民総背番号制も今秋から導入されますよね。

まるで、統制経済、国民精神総動員運動、大政翼賛体制、といった、国家社会主義への道です。「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンの下、日本は、非常に困難な時期を経験しました。この運動の物理的精神的両側面を支えたものこそ、天皇制を中心とする超国家社会主義体制だったことを思い出さずにはいられません。もちろん、これから行われるのは、もっとずっと洗練された「流線型の全体主義」とでも呼ぶべきものかもしれませんが。